東武伊勢崎線せんげん台駅近くにあるユニパルスのテクニカルセンターには、膨大な数の真空管を集めた展示室があります。
ユニパルスは、言うなれば社長の吉本の趣味だったアマチュア無線や機械いじりが高じて始まった会社です。真空管は私たちに日本のものづくりの黎明期を思い起こさせ、今日の私たちが日々その中にあるエレクトロニクス技術がこんなにも美しいものから始まったことに改めて感動させられます。
今回はその珠玉(球?)のコレクションから、社長吉本チョイスにていくつかご紹介いたします。
真空管の発明以来エレクトロニクスは飛躍的に進歩した。
現代ではそれは半導体素子に引き継がれ、コンピュータ・テレビ・スマホ・衛星通信など広範に使われている。
50年前、ユニパルスにも真空管を使った製品が多くあった。
せんげん台技術センターの8階に、真空管のコレクションを展示している。1640種類、約7000本だ。そのごく一部を紹介する。
以前ラジオは高価で、金持ち階級の趣向品だった。1928年第一次大戦終戦後ラジオの普及が広まり、真空管は手作りから工場生産品に変わって行った。
日本では1925年にラジオ放送が始まった。当時の受信機は鉱石ラジオだった。
1930年代は再生検波ラジオが主流となり、戦後はGHQが再生検波ラジオの使用を禁止し、より性能の良いスーパーヘテロダイン方式のラジオを推奨した。
この受信方式は音質も感度も良く、現代でも使われている。
再生型ラジオが禁止された理由は、不要な電波を発信しアメリカ軍が使用していたテレックス通信を妨害したからとの説もある。
映画は当初無声映画だったが米国で1926年頃からトーキー映画が始まった。 これは三極管の発明で有名なリー・ド・フォレストの発明で、フィルムの端の音声信号の濃淡を光電管で検出し、それを増幅し、映像に同期した音声がスピーカーから流れる仕組みで、基本は今も変わらない。
ウエスタンエレクトリック社は無声映画館をトーキー化するための機器を製造したが、映画館用広音域ホーンスピーカーは高効率で、3ワットの出力で映画館全体に音を響かせることが出来た。
スピーカーや増幅器、そして映画音楽は、映画館用のものこそオーディオファンの原点だ。ウエスタンの300Bは今でもオーデイオファンのあこがれの球だ。
ソラはゼロ戦にも搭載されていた旧海軍の無線機用の万能5極管だ。FM2A05AはドイツのテレフンケンのNF2をモデルにして日本無線が開発した球だ。
海軍は増産のために東芝の技術本部長の西堀栄三郎氏に生産を依頼したが、ドイツ流の凝った設計でとても量産は難しいと断られた。それでも海軍の押しが強く、結局東芝のRH-2をベースにした「ソラ」を開発した。
「ソラ」は製造の全てがマニュアル化されていた。作りやすく性能もよく、量産された。戦後の技術立国を予感させるような製品だった。
西堀栄三郎… 京都大、東芝技術本部長、登山家、南極越冬隊長、作詞家